豆知識

フロリダグレープフルーツにまつわる様々なデータを紹介します。
あなたの知らないフロリダグレープフルーツを発見してみてください。

フロリダグレープフルーツの歴史

フロリダグレープフルーツの歴史

アジアからヨーロッパへ

地球上のどこであっても、そしておそらく神の国であっても、柑橘という、「黄金の果実」が、フロリダほどに重要なところはないはずです。フロリダでは柑橘栽培、柑橘加工が、いまや何十億ドルという規模の産業なのです。

しかし、フロリダの柑橘産業の歴史よりも、柑橘そのものの歴史がはるかに長いのはいうまでもありません。かんきつ類にかんしてのもっとも古い文献は、紀元前2200年ごろの中国の書物だといわれています。また、ノストラダムスは柑橘の花と果実から化粧品をつくる方法をしるしていますし、ヘラクレスは、古代ギリシア・ローマの神々の重要な食料として守られていた、黄金に輝く柑橘の果実を、ヘスペリデスの園から盗みました。

目がくらむほど豊かな地とおもわれていた極東との貿易を望んだヨーロッパ人の注意をひいた最初のかんきつ類は「シトロン」でした。シトロンは紀元前310年頃にヨーロッパに持ち込まれ、その後、「ダイダイ」、「レモン」、「スイートオレンジ」、そして、グレープフルーツの祖である「ブンタン」がヨーロッパにやってきました。

フロリダグレープフルーツの歴史

アメリカへ、フロリダへ

アメリカ大陸にかんきつ類が持ち込まれたのは1493年、持ち込んだ人物はクリストファー・コロンブスだといわれています。そして、初期のスペインからの新大陸開拓者、おそらくポンセ・デ・レオンが、1513年から1565年のあいだのどこかで、フロリダのセント・オーガスティンのあたりに、最初のオレンジの木を植えました。

西インド諸島はバルバドスで1750年頃に発見されたといわれているグレープフルーツは、フロリダのかんきつ類のなかでは新参で、1806年にフランスの伯爵、オデット・フィリップが持ち込んだとされています。伯爵は1823年、フロリダのタンパ周辺に最初のグレープフルーツ果樹園をつくりました。

フロリダ柑橘産業の歴史

オデット・フィリップ伯爵がフロリダに最初のグレープフルーツ果樹園をつくったころ、フロリダの柑橘産業は、フロリダ北部で盛んで、生産者は樽にかんきつ類を入れて、船で市場へと送っていました。

19世紀には、かんきつ類の木々はフロリダの森のいたるところで自生していたと考えられています。また、人間が管理している柑橘果樹園は、セント・ジョンズ・リバー沿いや、タンパ周辺にあったと考えられています。フロリダ特有の砂状の土や亜熱帯性気候は、初期の入植者たちが持ち込んだ、かんきつ類の種の栽培に理想的な環境でしたが、フロリダの柑橘産業が、充分にビジネスとして成り立つまでには、かんきつ類がフロリダに持ち込まれてから400年ほどがかかったことになります。

フロリダグレープフルーツの歴史 フロリダグレープフルーツの歴史

南北戦争 (1861年から1865年)直後のフロリダの年間商用かんきつ類生産量は、およそ100万ボックス。これが、1893年には500万ボックスに達しました。この背景には、輸送技術の進化によって、アメリカ北部があたらしい市場として開拓されたこと、さわやかで健康にいいフロリダのかんきつ類への需要が徐々に高まったことがあります。

南へ

1894年から95年にフロリダを襲った大寒波の影響で、フロリダの商用かんきつ類の生産量は、わずか14万7,000ボックスにまで減少しました。寒波をさけるため、柑橘の栽培地は徐々に南方へと移動。1910年には、寒波以前のレベルまで生産量が回復しています。

1915年、生産量は1000万ボックスにまで達し、1950年には1億ボックスを達成。1971年には2億ボックスを超えました。

もちろん、20世紀にも、寒波の被害をフロリダの柑橘産業はたびたび受けています。しかし、そのたびにあらたな果樹園を南方につくりながら、フロリダの柑橘産業は成長をつづけました。

今日、フロリダではおよそ43万エーカーの果樹園でかんきつ類を育てています。柑橘産業、柑橘関連産業の従事者は62,000人ほどとされ、フロリダの柑橘産業の規模は、100億ドルを超えます。フロリダに暮らす、すべての人々の生活に、柑橘産業は大変重要なものなのです。

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